情報デザインからコミュニティーの構築を考える
情報デザイン国際会議・ビジョンプラス7
Tokyo, 1999, october 07 - 09


10 09 am <情報の景観>
ヨアヒム・ミュラー・ランセ 、Kame Design、米国

自分たち自身の手でデザインする:その土地から生まれた公共のデザイン:

何かがおかしい、何かが足りない、何かが壊れている、何かが古くなっている――デザイナーはすでに立ち去ってしまった。しかし、そこには一億2600万人の知られざるデザイナーたちがひしめき合う未知の世界がある。誰かが問題を解決しなければならない。彼らが、それをもうやっている――自分の理解が及ぶ範囲で、彼らは計画を実行に移している。その作品群は、たしかに寄せ集めで継ぎはぎだらけの感はある。しかし、その作品づくりの仕事は、彼らの日常経験から生まれ出たものに違いない。

ハイテクや最新様式に彩られた歴史の輝かしい表舞台がある一方、その裏側には、人目につくことのほとんどないローファイ(hi-fiにかけたlow-fidelityの意)な手作り文化が豊かに広がっている。その手作り文化の由来は、漢字を手書きで書くことに昔から慣れていることにあるのかもしれないし、また、自分でやるという精神が、広く一般に根づいているからかもしれない。それにしても、至る所でそれがなされていること、そして、公共のために、躊躇することもなく手作りで何かをやってしまう態度は、他ではめったに見られないものだ。
「ディテールをみることだ」、初めて飛行機に乗ったとき、私の隣に座った人が言ったことばである。的を射たこの助言がことの始まりだった。パラダイムを編み出すような研究というよりも、むしろ、単純に集め、グループ分けして秩序を見いだし、それからグループごとに比較して、それぞれの間に何があるのかを発見することがこの研究である。そこにパターンというものが存在するのだろうか。それらは互いにどう結びついているのだろうか。

彼らの作品は「悪しきデザイン」ではない――簡素な意図をもって専門家でない人々がやったとても良い作品なのだ。見た目はどちらがいいのだろう。仕事として考えた場合、どちらが最終的にふさわしいと言えるのだろう。このプレゼンテーションで試みたいことは、それら作品を皆で「審査」することではない。そうではなく、私たちデザイナーの心を開いて、デザイナーの仕事と同じ仕事をしている人間として、それらを作っている人々のへ関心を向けてみたい。そして、彼らが、どのように本当に役に立つものを作っているのか、その仕事ぶりを、じっくりと観察してみたい。

彼らの実用主義には、その土地特有の魅力が必ず含まれているものだが、ここでは、素朴さを気取ったポピュラーアートとしてそれらを捉えているのではない。今の風潮を考えると、このような方法に陥ってしまいやすい。しかし、否定することのできないことは、これら作品のすべてが「人間が人間のために作った」という事実である。
私は彼らに会ってみたい。





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