情報デザインからコミュニティーの構築を考える
情報デザイン国際会議・ビジョンプラス7
Tokyo, 1999, october 07 - 09


10 07 pm <事例: 情報とストラテジー>
チャーリー・フレッヒ、メタデザイン、ドイツ

コミュニティーとしての企業

デザインのシステムは、プロセスをデザインすること、「プロセス・デザイン」に置き換えられつつある。なぜだろう?

デザインはこれまで、線形のそして独立のプロセスとして認識されてきた。デザイナーはグラフィックをつくることでデザインのプロダクションを支えていたのである。そのコンセプトには、モジュールという原理がベースとなっていた。それは、レンガで家を建てることと同様なプロセスとして考えることができた。しかし、今日、その「家」は徐々に消え、デザインが扱う対象問題の在り方は、建築物というより化学の問題となってきている。なぜだろう?

デザインは、これまでデザイン要素を、物理学における「半減期」のように特徴づけていた。その時間の進みは遅く、ゆえにデザイナーがすべてを準備しそれぞれがうまく機能しているか確認するための充分な時間があった。実際、デザインとはプロダクション・プロセスにおける準備を問うことだったのである。しかし、デザインする上で時間の概念は変わった。製品生産の間隔はどんどん短くなり、そして今、デザイナーは終わりなく続いていくコミュニケーションの送信者となっている。なぜだろう?

かつて、企業というものは固定した環境として捉えることができた。企業そのものがそうであるように、企業の製品とそのブランドは競争の中で差別化されやすいように明確に形づけられていた。しかし、ネットワークやコミュニティーという開かれた状況に対応するために、現在企業はその姿を変える必要にせまられている。さまざまな製品は、複雑化する販売戦略のための相互補完的な要素に変容している。そして、企業のブランドは、ターゲットとなる顧客の「生きている環境」としてのみ規定されるものとなってきている。
なぜだろう?

市場とそこにある製品群は、もはや、それ自身は販売の対象ではなくなっているのだ。その代わりに、完全な「ニーズのライフサイクル」の可能性のために、製品はデザインされている。そして、製品は彼らが買い手であるかは別にして、そのユーザらとのアクティブな関係に呼応するかのように増産されている。なぜだろう?

製品の形は、もっとわかりにくくなってきている。かつて、その機構や物理的な価値で製品は明確に評価されていた。しかし、現在、それらは、情報の、サービスの、そして娯楽的な価値によって評価されるようになってきている。製品は「季節商品 seasonal products」として、企業ブランドに関するコミュニケーションの目的と随時同化しているのである。次になにがあるのだろう?

今日のデザインが挑戦すべきは、「形態と内容」という古典的な区分を徹底的に取り去ることである。integrated communicationとは(理想的には個人やユーザーを考慮した)企業ブランドや製品を紹介するためのネットワーク化された伝達媒体なのである。そこではデザイナーは、情報の共著者か、あるいは著者自身となるべきであり、共同するデザイナーに留まるべきではない。このことは、「コミュニケーションのプロセス」をデザインすることに他ならない。同時に、個々に「内部」か「外部」かということは、ぼんやり霞んだものとなってきているか、完全に同化したものになっている。そして、そこでの答えは簡単な状況説明から見つかるものではなく、皆が「調整役 moderator」として参加したときに出てくるものなのだ。

アイデアやデザインは、もはやひとりの人間がもっている独立の財産ではない。それらは、集合的なプロセスの結果なのである。デザインする道具と方法は変わってきている。さらには、どのように道具を使ってつくるかというより、道具のデザインに焦点が当てられているのである。

「メディア」とそこに表現される「内容」は止むことなく互いに近づいている。

それら2つの間には、人々がもつ関心、ビジョン、そして目標の「まとめ役 integrator」であり「調整役 moderator」という新たなデザインの役割が広がっている。


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