情報デザインからコミュニティーの構築を考える
情報デザイン国際会議・ビジョンプラス7
Tokyo, 1999, october 07 - 09


10 08 pm <事例: 情報とインタフェース>
リン・シェード、アドビ・システムズ、米国

インターナショナルデザインとは

製品には、それを作る人が生まれ育った文化にある考え方が本質的に反映されている。そういう事実に作る人々は気づかないことが多い。文化の差異というものは、ふつう、製品が異なる文化的なコンテクストの中で吟味される場合にのみ見えてくる。たとえば、フォーク、ナイフ、スプーンは、西欧から見れば世界共通の普遍的な道具と考えられるだろう。だが、アジアの目には、異なる目的のためにそれぞれ異なる道具を必要とする文化、aはbだがcではないという排除の論理のはたらいている文化の産物と映るのだ。アジアの人々が使う「箸」は、ひとつで多くの役割を担い、役割をはっきりと限定しないのを良しとする文化を反映している。

海外ユーザーのニーズ研究には、そこに住む人々が求めている機能性を知る以上のものが必要となる。彼らの言葉に耳を傾け、インタラクションについての微妙な感情や反応をくみ取らなければならない。日本は、「見た目と感じ」の「感覚」を知ることのできる興味深い場所である。日本の文化と言語では「ものの考え方mind」と「心情heart」の区別が曖昧で、「心」という言葉が両方の意味をもっている。

合理的な思考が感情から見事に切り離され、ソフトウェア・デザインを考えるのにheartの部分を考慮しないアメリカ人にとって、「心」は難しい言葉だ。インタラクションへの感情反応は、日本人の精神と言葉に完全にとけ込み、日本語を話しているときには見えてこない。

たとえば、日本人ユーザーがインタラクションを「感覚的に嫌だ」と言う場合、それは精神面(考え方を変えざるを得ないということ)ばかりでなく、感情面(気分的に嫌であること)からも望ましくないという意味をもっている。ある製品が要求するインタラクションが「精神的につらい」と言うときは、日本人ユーザーのmindとspiritの両方に負担がかかっている。つまり、製品の漠然とした質、西欧ユーザーにとってもおそらく漠然とした質が、日本ではたいへんに重要になる。日本人ユーザーに受け入れられるようなデザインを作るためには、インタラクションに対するユーザーの感情反応を考慮するのが肝要だ。インタラクションをしたときの感じが悪いと、ユーザーは否定的な感情反応をかすかに抱く。この経験が積み重なると、やがて心の傷という結果を招いてしまうだろう。

このようなソフトウェア、たとえば縦書きをサポートしているあるソフトウェアなどは、機能面での日本人ユーザーのニーズを技術的には満たしているのだろうが、西欧的な製品に日本的な機能が単に加えられたものになっている。仕事への取り組み方が、日本人ユーザーと西欧人とは大いに異なるという点が無視されている。アメリカ人ユーザーの期待と仕事の流れに沿うようにデザインされた製品に、単に付加された「日本的」な機能を、日本人ユーザーは、その機能が存在する本来のコンテクストからはずれたやり方で使わざるを得ないのだ。ニーズが本当に満たされているのか、という点において、ユーザーが不信感を抱きつつインタラクションに取り組むことは、そこに大きなストレスと不快感を伴ったユーザー経験をつくり出してしまうことになる。

ユーザーは、やらなければならないことの論理的な手順には適応できる。しかし、直感ともいえる感情反応を変えることは不可能だ。インターナショナル・インタフェース・デザインの概念は、単に海外版に機能性を付け加えるという要求を満たし、海外のユーザーがその製品を使って作業を実行できるか、という点に集中している。このようなアプローチは、そのニーズが生じるに至った広いコンテクストを考慮しないで行われることが多い。しかし、われわれがユーザーの感情反応を真剣に取り上げ、また、ユーザーの経験を余すところなく改善しようと努力しない限り、ローカライズされた製品の改善は決して生じないだろう。



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